5月3日 氷武神社祭礼

5月3日は、この「乱橋」の語源とも言われている氷武神社の祭礼の日です。

私も地区の一員として、祭礼の準備に出かけました。

道普請

車の入れる場所に車を置いて、参道に積った枯れ葉の掃除です。鳥居は前に近所の方が近くに倒れていた栗の木を切って、大工さんが柱を立て直したそうです。

氷武神社1

前に「氷武神社は山奥にあるから」と言われていましたが、意外と早く到着しました。手前に移っている人は乱橋区の役員さん達で、神社境内の掃除と祭礼の準備は役員達がやるとのことです。

氷室と鳥居

鳥居から見て、左に見える石積みの建物は「氷室」です。江戸時代はこの氷室に冬の間に蓄えた氷を、松本の殿様に献上したとの話です。また明治時代からは蚕のタマゴをこの氷室で唖津買った時代もあるとのことです。屋根は木造なので、直に傷んできて架け替えるそうです。

氷室入り口

氷室の中を覗いてみました。近寄るとやはり冷たい風が流れ出ています。上の写真の真ん中に見える木の柱が、入り口です。

氷室の中

入り口から覗いた氷室の中です。屋根の下が開いていて、外からの日が差し込んでいます。

これだけ空間が大きいと、江戸時代の話のように氷が残ることは出来ないでしょう。山側の石積みに行くと、石の間から冷たい空気が流れています。

本殿

氷室の右後ろに本殿があります。建物内左奥に社が見えて、手前は拝殿の役割のようです。

石碑

石碑・石神など石造物が多い筑北村ですが、氷武神社には目に入ったのはこの石碑だけです。

石碑大写し

石碑の石質は緻密で硬い岩で、ほかの地域で彫られて持ち込まれたのでしょう。

前面に彫り込まれている文字は

大正十二年七月

甲子大黒天

講社員一同建立

と読めます。

「甲子大黒天」 ? どういう大黒様なのでしょうか?

道普請も済んで、当番は退場です。役員の人たちは作業着でまだ働いています。

祭礼は午后からだそうですが、役員以外は参列しないようでした。

それでも毎年祭礼がおこなわれるのは、地域の水の神様として尊ばれているからでしょう。

春というか初夏の明るい森を皆で歩いて下山しました。

「乱橋」の地名の謂れですが、この氷武神社の氷室に置かれた氷がしたたり落ちる様から「みたらし」と言われたという説があります。

「みたらし村」という名称は、400年ぐらい前の文書に残っているとの話です。


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